世界一周を終えてからのその後の日記

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旅 ペルー 前編

2008 - 01/31 [Thu] - 08:52

NYからいっきに南米ペルーへ。

ペルーにはこの旅の目的の一つ、マチュピチュがあります。
天空の城です。

とりあえず、最初の南米、
次は高地のクスコということもあり、
リマで体調を調えクスコに向かいました。

リマのオキナワという宿で3泊し、22時間かけてクスコへ。
やはり高山病が襲ってきました。
クスコにつく頃には、頭がガンガンし、気分が悪い。

クスコの宿、花田で知り合った人たちと夕食に行っても、
食欲もないし、ビール一杯飲めない。
とりあえず宿にかえり、コカティーを飲み、早々に就寝。

次の日は、気分もすっきり。
やはり高山病にはコカティーと十分な睡眠が必要です。
ちなみに後から来た人の中には、
3日も4日も寝込んでいた人もいました。

元気になれば、早急にマチュピチュへと思っていたのですが、
リマの宿で知り合ったリサネーサンが、
クスコの同じ宿にやってきたので、
一緒にマチュピチュへ行くことに。
そして、やはり同じ宿にいたハルキ君も、
マチュピチュへ行くというので3人で、
2日後に一緒に行くことになりました。

いま思えばこれがペルーの酒飲み珍道中の始りだった。

クスコでは、大阪出身のリサネーサン主導で、
お好み焼きパーティをやったり、
やはり同じ宿にいたNICOさんに、
おいしい串焼き屋さんに連れていってもらったり。

お好み焼きは美味しかった。
3500mの高地でお好み焼きが食べれるとは思ってもみなかった。

串焼き屋さんも美味しかった。
日本の居酒屋さんみたいだった。
わいわいガヤガヤ、ビールを飲みながら串焼きを頬張る。

そして必ず、宿に帰ってリサネーサンやハルキ君と飲んでいた。
高地だというのに2人ともよく飲む。
ビールを大ビン(ペルーの大ビンは1.1リットル)で一人2、3本飲んだ後、
ワインを2本くらい空けていた。
それがほぼ毎日続く。

当然マチュピチュへ行ってもそれが続きました。

そしてこのマチュピチュへ行くのが大変だった。
恐らく、日本人でこのルートで行く人はまずいないんじゃないかな。
ルートはクスコからウルバンバへバスで行き、
そこからコレクティーボでオリャンタイタンボへ。
ここまでは、バックパッカーにはよく知られたルート。

しかし私たちはここから違います。
当初はそこから列車に乗り、
マチュピチュの麓の村アグアス・カリエンテスに行くつもりだったのですが、
列車の料金が思ったより高かったことから判断が鈍り、考え込んでいるうちに、
列車の席がフルに。

しょうがないのでタクシーの運ちゃんに別ルートはないか聞くと、
サンタマリアに行って、そこからコレクティーボだという答えでした。
値段は、タクシーでサンタマリアまで200ソル、
コレクティーボが5ソルということでした。
それでアグアス・カリエンテスまで行けるなら、
列車より安いし、良いんじゃないかということでタクシーへ。
(この時はまだ、アグアス・カリエンテスへの車道は、
無いということに気づいていませんでした。)

そしてここからが大変だった。
3時間くらいでサンタマリアまでつく予定が、
途中の道で崖崩れや川の氾濫が起きていました。
しかもうちらのタクシーが、一番乗り。
ということはちょっとずれていれば、巻き込まれていた可能性大。
なんせ、川の氾濫や土砂崩れの現場に着く前に、
対向車を観ていましたから。
つまりちょっと前までは、そこは車が通れたということ。
やばかったー。ちょっとずれていれば死んでいたかも。
しかも土砂崩れの現場では、目の前で再び大きな土砂崩れが起こるし、
川の氾濫では、ブルトーザーが出てきて、土砂を片づけているし。
かなりの大事でした。

そんなこんなで、3時間でつく道が9時間くらいかかってサンタマリアへ。
当然もうコレクティーボも無いので、サンタマリアで一泊。
本当に小さな町で、地球の歩き方の地図にも載っていない町。
でも宿代は安かった。一泊5ソル、日本円で170円くらいかな。

そして、この町でアグアス・カリエンテスまでの行き方を聞くと、
サンタテレサに行けとのこと。そんなの聞いてないよー。
でも行かないわけにはいかないので、
言われたとおり、翌日、コレクティーボに乗ってサンタテレサへ。



以上が旅 ペルーの前編。
長くなりそうなので、前編と後編に分けます。

ちなみに、この時点で3人とも、
このサンタマリアというわけのわからない町に行っても、
ぜんぜん平気でした。
3人ともこういう旅を楽しんでいました。
その証拠に、サンタマリアでもビールを大量に買って、
宿で飲んでたし。
私も、こういう旅が好きだし。
みんな、何とかなるだろうとポジティブでした。

用語の説明
コレクティーボ=ハイエースみたいなバンの乗合バス


リマの街並み
リマの街並み

クスコの夜景
クスコの夜景

クスコのお好みパーティー
クスコのお好みパーティー

崖崩れ
崖崩れ

川の氾濫
川の氾濫

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旅 ニューヨーク

2008 - 01/20 [Sun] - 06:51

NYでは、バルセロナで知り合った人が経営する宿、ムーンパレスに泊まりました。
しかも、マドリッド~NY間のフライトはダブルブッキングにより、ビジネスクラスで移動。
初めてのビジネスクラスに戸惑いました。
機内食のコースメニューがあったり、ウエルカムシャンパンがあったり、
ワインもセレクトできるし。
足は伸ばせるし、椅子のいろいろなところが稼動するし。
もう2度と乗らないであろうビジネスクラスをしっかり堪能しました。

そしてNYに到着。
初のビジネスクラスを堪能したため、一切、機内では寝ずにNYへ。
そしてムーンパレスにチェックイン。
ムーンパレスのオーナーだいすけさんと久しぶりに再会し、
その夜、クラブに連れて行ってもらいました。
さすがに30時間ぐらい寝ずにいたため、身体も意識も朦朧。
でもさすがNY。まわりは美男美女ばっか。
連れて行ってもらったクラブは、アーティストやモデルがよく通うクラブだったらしいです。

二日目からはNYを見物と思いきや、朝帰りしてそのまま寝ずにNYに飛び出したので、
グッケンハイム美術館を観ただけで眠気が襲ってきて、宿に戻り仮眠することに。
仮眠から醒めるとすでに21時。
とりあえず宿に置いてあったラーメンを食ってその日は終わり。

三日目から風邪を引いてしまいました。
最近風邪を引くことが多いな。
疲れが溜まっているのかな。

でも、宿で知り合った大学生達とジャズバーに行ったり、
NBAを観にいったり。
そして、夜は自炊で夕食を食べたり、ネットでマンガ観たり。

途中ムーンパレス2号店に宿を移り、そっちの宿の人とお昼を食べに行ったり、
STOMP観たり。そのころようやく風邪が治りかけていました。

そして、またやってしまいました。
お昼を食べたチェルシーマーケットというショッピングモールに、
パスポートを入れておいたバックを忘れてきた。
しかも気づいたのは、STOMPを見終わった後。
急いでチェルシーマーケットに戻り、探すも見つからない。
警備員や、お昼を食べていたベンチの近くのショップの店員に聞いても知らないという。
まあ、パスポートぐらい再発行してもらえばいいかと思って、
チェルシーマーケットを出ようとした時、
警備員が「Hey Boy, Is this your bag ?」と声をかけてきてくれました。
まさにそれは私がトルコで買ったバック。
中身を確認しても、盗まれた物は無し。
警備員達に「Miracle Boy 、 Lucky Boy」と言われました。
そして警備員さんたちとハイタッチをして、チェルシーマーケットを後に。

多分このまま帰っても、宿にいる人たちは全員、
ムーンパレス協賛のイベントのオープニングに行っているので、
いないだろうと思い、私は、このハッピーな気持ちを持続させたく
一人でワインバーにのみに行くことに。

まずはシャンパンから。今日はお金関係ナシに飲むことを決めていました。
ボトルでMOEを注文し、一人でグィッと。
30分も経たないうちに一本を空けました。
すると、近くにいたおじさんが何かあったのかと寄ってきて、
事情を説明し、「I LOVE NY」だよと私が言うと、
「はははは、NYはいい街だろ、そんなにいいことがあったなら飲みなよ」
みたいなことを言っていたと思います。
(私の英語力では聞き取れませんでした)
その後、ワインを2本飲んだのまでは覚えているのですが、
後は記憶なし。
店を出て、地下鉄に乗り、宿へ戻って爆睡。
しっかりバックは持って帰ってきました。

翌朝、朝起きると右足に痛みが。
すねがメチャメチャ腫れている。
そういえば電柱にぶつかったような。

この辺は、日本での行動とあまり変わってはいません。

一体いくら飲んだのかと思って財布を見ると、お金がなくなっていない。
クレジットカードの明細もないし。
そういえば、一緒に飲んでいたおじさんが奢ってくれたような気がする。
名前聞いてなかった。連絡先も。

多分みていないだろうけど、おじさん奢ってくれてありがとう!!!

そのあとも美術館めぐりをして、NYを満喫しました。

それと、イタリアで知り合った老夫婦の家にも遊びにいって、
夕飯やお酒をご馳走になってしまいました。
あそこのマンションからみる夜景がきれいだった。
今では、その老夫婦とメルトモです。
旅は出逢いだね。
私の場合、失敗も多いけど。

そしてNYで今後のたびの予定を変更しました。
NYから南米に渡り、そこから日本に帰ります。
カナダとLA、ニュージランドとオーストラリアはカット。
南米が旅の最後の大陸です。

ルートは、
NY→ペルー・リマ→チリ・サンティアゴ→チリ・イースター島→
チリ・サンティアゴ→ブラジル・サンパウロ→日本・成田です。
このほかにも、ボリビアやアルゼンチン、ベネゼエラに行く予定です。

今はペルーのクスコにいます。
この後マチュピチュに向って、ウユニ塩湖を観にボリビアに入ります。

そろそろ旅もオシマイ。
さびいような、嬉しいような。

NYの夜景
NYの夜景

エンパイアステイトビルディング
エンパイアステイトビルディング

タイムズスクウェア
タイムズスクウェア





旅 スペイン2

2008 - 01/18 [Fri] - 04:23

モロッコから、なんとかスペイン南端の町アルヘシラスへ。
スペインに入っても無一文なんですが、
それでもスペインならカードがあれば何とかなるだろうと思って、
直接、マドリッドには帰らず、セビーリャに寄ってマドリッドへ。

セビーリャで見たかったものは何といってもフラメンコ。
本場のフラメンコを見てしまいました。
さすがに迫力があった。
フラメンコってタップダンスに近いんですね。
もっと、カスタネットをカタカタ鳴らすのかなっと思ってた。

あとは街をぶらぶら。
なにぶんカードしか持っていないので、
スーパーで買い物してもカードで払っていました。
スーパーの店員は迷惑そうだった。

そしてセビーリャで2泊して、いざマドリッドへ向かう為、
バスチケットを買いにバスターミナルへ。
そこでも、いつもと同じようにカードで払おうとカードを出すと、
機械が読み取らない。
何度やってもだめ。
現金ないし、どうしようかなと考えたあげく、
ユースに泊っていたフランス人に事情を話し、
お金を借りて、12/30には無事マドリッドへ。

お金借りまくり。
でも、もう既にちゃんと返しましたよ。

マドリッドに帰ってきて、
マドリッドに置いてあったカードを持ち、直ぐに銀行へ。
お金を下ろし、お金のありがたみをかみ締めました。

その後、プラドやソフィアに行ったり。
そして新年を、宿に泊っている人たちとソル広場で迎えるためソル広場へ。
かなりの人だかり。そしてまたやられた。
服を切られ、カメラをやられてしまったのです。
トラブル続きです。自業自得のところもあるけど。
まあ、これくらいならたいしたことないけどね。
最近慣れっこです。いけないことですが。

1/2には、レアル・マドリッドの試合を見に行きました。
国王杯なんで、主力はあまり出ていなかったけど。
それでもレアルの試合を見れてよかった。
しかし今のレアルのメンバーはよくわからん。

後は宿でグタグタ。
最近疲れが溜まっているせいか、眠くて眠くて。
食っては寝てを繰り返していました。

旅 モロッコ

2008 - 01/02 [Wed] - 19:56

モロッコは、はっきりいって何にもしていない。
トルコからスペインに飛んで。宿に大きな荷物を預かってもらい、
小さなリックですぐにアルへシラスに行き、そこから船でモロッコ・タンジェへ。

そしてタンジェで一泊して、次の日にエルフードへ向かう予定だった。
しかしモロッコのお祭り、犠牲祭と重なりバスがしばらく一杯。
列車ならあるだろうと思い、駅に行っても、
駅前で人だかりができており、駅にすら入れず。
そこで、メルズーガに行きたいというモロッコ人と知り合い、
タクシーをシェアしてとりあえず違う駅に行き、
そこから列車に乗り、とりあえずフェズへ行くことに。

なんとか列車に乗ることができたのですが、
犠牲祭のため列車はすし詰め状態。

そこでやられてしまいました。タイに続き2回目。
財布をすられてしまった。
財布の中には現金だけでなくカードも。

列車はフェズに着いたけど、本当に無一文状態。
おそらくシディ・カシムという駅で取られたことが濃厚。
ちょうどフェズへ向かう列車と、マラケシュ方面に向かう列車の乗換駅で、
降りる人と乗り込んでくる人がたくさんいて、
そこでやられた可能性が高い。

カードもすられてしまったため、キャッシングもできない。
宿にも泊まれず、ご飯も食べられず、
とりあえずフェズで鉄道の警察に知らせると、
駅でちょっと待っていろと言われた。

駅のベンチに座り待っていると、
英語の話すことができるエチオピア人がいろいろ話を聞いてくれて、
「大丈夫、必ずいい解決方法が見つかるよ」と励ましてくれた。
そして、その話を聞いていたモロッコ人が「どうしたんだ」と話しかけてきて、
フランス語もアラビア語もできない私の変わりに、そのエチオピア人が説明し、
話を聞き終えたモロッコ人が、
私に向かって「Sorry Sorry」と話しかけてくる。
そして私の手を握り、お金をくれた。
さらにそれを観ていた別のモロッコ人が「どうしたんだ」と話しかけてきて、
そのモロッコ人が説明。そして同じように「Sorry Sorry」と話しかけてきて、
手を握りお金をくれた。
するとだんだん人が集まってきて、人から人へどんどん話が伝わり、
みんなが謝り、そして励まして私にお金をくれた。
それだけでなく、駅にいた数人の若いモロッコ人が駅中を周ってくれ、
私のために募金を集めてきてくれた。
そしてこれから
「どこそこへ行くんだけど、一緒私の家に来ないか?」と言ってくれたり、
一緒に朝まで駅で過ごしてくれたり。

結局、日本円にして一万円くらいの募金が集まりました。
犠牲祭でモロッコ人が帰省でかなりの人が駅にいたためもあり、
200人以上のモロッコ人が集まった。
さすがにかなり感動。思わず泣いてしまった。

その日はフェズの駅に泊まり、
次の朝、結局何の知らせも来なかった警察に出向くと、
シディ・カシムに行けと言われ、列車のお金は払わなくてもいいからと。

ただで列車に乗っけてもらい、シディ・カシムの警察に行くと、
やはりと言うか予想通り、たらいまわしに。
上の階へ行け、下の階へ行けと。
最後に警察署の署長みたいな人が出てきて、フェズへ戻れと。
まあ予想通り。
当然、フェズに戻っても、
再びシディ・カシムに行けと言われる事は目に見えていたので、
「私はシディ・カシムで被害にあったんだから、
シディ・カシムでポリスレポートを書いてくれ」と反論。
その後、3、4時間言い合いがつづき、結局署長が折れて、
ポリスレポートを書いてくれることに。
それからの署長はすごく機嫌が悪かった。
部下や、パスポートの申請に来た人たちに当り散らしていたからね。

それからも大変。盗まれた当日の行動の細かな状況を語で説明して調書を作成。
寝不足や疲れ、空腹から頭がくらくら。
英語も苦手なのに。
すると調書を取っていた警察官が、「何か食うか」と言ってくれ、
わたしは思わず「カツ丼」と言いたくなったが、
さすかにカツ丼はモロッコにはないので、「何でもいいよ」と言ったら、
パンやクッキー、ジュースまで買ってきてくれて、奢ってくれた。
そして最後に、「もし犯人が捕まったらどうしたいんだ」と言われ、
「腕を切るのか」、「殺すのか」、「牢屋にぶち込むのか」と言われ、
「なぜそんなことを聞くんだ」と私が言うと、
「犯人が捕まったらお前の好きなようにしていいぞ」と言われた。
モロッコではそういうシステムなのか?と思いながら、
私は「お金が戻ってくれば、それだけでいい」と言ったら、
みんながどっと笑い「お前はなんてハッピーなやつなんだ」と言われ、
騒いでいると、所長がやってきて事情を聞くと、どっと笑い出して、
やたら私の肩をたたいて、笑っていた。

すべてが終わると、所長自ら運転して私を駅まで連れて行ってくれ、
日本大使館のあるラバトまで行きたいと言う私の願いを聞き入れてくれて、
駅にある派出所に行き、一緒に同行してラバトまで行くように言ってくれた。
しかもまたダダで。

ラバトに着き、あらかじめ待ち合わせしてあった大使館員と今後の対応について話す。
実は盗まれたVISAカードがモロッコで再発行が可能なんだけど、
郵送で送られてくるため、しっかりとした住所が必要とのこと。
最初は大使館に届けてくれるように頼んだのだけど、
セキュリティの関係からということで、大使館に断られていた。
なので、大使館側が用意してくれたホテルにチェックインして、
そのホテルで待つことに。
このホテルが高い!しかも、モロッコの休日や土日と重なり、
一週間もそのホテルにいた。
しかもラバトは観光するところはないし。
私はずっと、近くの広場で知り合った子供たちとサッカーをやって遊んでいた。

そしてVISAカードが届き、ようやくここを脱出できると思ったんだけど、
なんとキャッシングができない。
そういえば盗まれたVISAカードにキャッシング機能はつけていなかったけな。
モロッコでキャッシングのできないカードはほとんど意味がない。
列車のチケットすらカードでは買えないのだから。
ホテルはさすがに高級ホテルだけあり、カード払いが可能だったけど。

カードがきたら、キャッシングしてマラケッシュに向かうという予定を変更して、
集まった募金を元に、列車のチケットを買って、タンジェまで行き、
タンジェで同じ安宿に泊まっていた日本人にお金を借りて、
スペインのアルヘシラスまで戻ってきました。

以上がモロッコでの全日程。
結局タンジェとフェズとシディ・カシムとラバトに行っただけ。
しかも、フェズは駅から一度も出ていないし、シディ・カシムは工業地帯の街だし。
ラバトは首都だけど、何もない街だし。
モロッコはもう一度来ないといけないな。

旅  トルコ

2008 - 01/02 [Wed] - 19:55

トルコでは、イスタンブールとカッパドキアのギョレメ村にに行きました。

ハンガリーを飛び立って、トルコに着くともう夕方。
しかも雨が降っていました。
とりあえず宿を探して、チェックイン。
その日は、そのままシャワーを浴びて就寝。

次の日、カッパドキアに行くバスチケットを買いに行きながら、
町をブラブラ。
グランドバザールに行ったり、新市街に行ったり。
バスチケットもその日の夜行の便が手に入りました。
トルコからブルガリアにも行きたかったから、
結構ハードな予定だった。

トルコのバスは、至れり尽くせり。
客室乗務員?みたいな人がいて、飲み物やお菓子を配ってくれます。
しかし私はなんとなく体調が優れず、ずっと寝っぱなし。
鼻水は止まらないし、悪寒は走るし。
朝方、ギョレメに着くと、体調はさらに悪く、
ツアーの勧誘に来ていたトルコ人が同情して、
ティッシュやお菓子やパンをくれました。

何とか、ギョレメのペンションにチェックイン。
少し休んだあと、体調が多少回復したので、
町をブラブラ。
夕方、ペンションのオーナーが釣りに行くというので、
一緒に同行。これがめちゃめちゃ寒い。
車で一時間ぐらいかけて行ったのですが、本当に寒かった。
結局、一匹も釣れなかったんだけどね。

次の日、一日寝て、やや体調が良くなり、午前中からブラブラ街を見て回り、
いろいろなところでトルコティーやお菓子をご馳走になっちゃいました。
そして、初めてトルコアイスを食べました。
日本で流行った時は、食べなかったのですが、
トルコに来たならぜひ食べてみたかった。
微妙に硬く、不思議な食感。

そしてこのアイスを食べた瞬間、背中に悪寒が。
頭もクラクラしてきて、体もだるい。
とりあえず急いでペンションに帰り、ベットへ。
ベットのある部屋はCAVEドミなので、
暖房をつけてもなかなか暖かくならない。
悪寒も止まらないし。

次の日もほぼ一日中寝っぱなし。
夕方ごろには、復活したけど、
結局一日半ぐらいベットから起き上がれませんでした。
ペンションのオーナーに死んだと思われていました。

体調が回復したとはいえ、なんとなく体がだるかったので、
夕食を食べた後はすぐに就寝。

次の日も、暖かい格好をして街をブラブラ。
顔見知りのトルコ人も何人かできました。
さすがにこれだけ何もしない日が続いたため、
予定を大幅に変更。
ブルガリアに行くつもりだったのですが、中止して、
ギョレメにしばらく滞在することに。

その次の日くらいに、ツアーで地下都市を観たり、
トレッキングをしたり。
あとは、街で顔なじみになった人とトルコティーを飲みながら雑談したり、
夜、バーに行ってラク(トルコのお酒、アブサントみたいな感じのお酒)を飲んだり。

そんなこんなで8日間があっという間に過ぎてしまいました。
最後の日の夜は、ドミの同室の人と親子丼と味噌汁、から揚げを作り、
ペンションの人たちにご馳走。
味噌汁は人気なかったなー。

再び夜行でイスタンブールに戻ってくると、
ずっと前からやばかったスニーカーが
かなりやばいことに。
ギョレメ村の絨毯を修理するお店で、
破れているスニーカーを縫ってもらったりしたんだけど、
またそこから破れてきてしまいました。
もう限界。ということでトルコでスニーカーを購入。
コンバースの皮のスニーカーが、2000円くらい。

それから、エジプシャンバザールに行ったり、鯖サンドを食べたり。
ハギアソフィアやブルーモスクにも行きました。
これらの建物はすばらしかった。重厚でそれでいて美しい。
ヨーロッパの教会とはまた違った美しさがありました。


写真ですが、トルコ編、次のモロッコ編、そして次のスペイン2編はありません。
実はカメラを盗まれてしまいました。
カメラ自体は安いものだし、もうひとつカメラを持っているので、
いいのですが、写真が。
スペインでジャケットのポケットをナイフで切られ、
そこから盗まれてしまいました。
トラブル続きです。
これから治安が悪い南米に向かうのに大丈夫かな?

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旅と建築と出会いと酒をこよなく愛する2代目旅人

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